テリー伊藤が語る80年代テレビの凄すぎ伝説www画像

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1:2015/08/27(木) 21:07:30.01 ID:
「テレビがつまらなくなった」と今、さまざまな場所で言われる。テレビの黄金期、80年代を突っ走ってきた2人のレジェンドに、当時の凄さを語ってもらった!

「当時の予算はとんでもなかった」と語るのは、本誌連載でもおなじみの演出家・テリー伊藤さん(65)だ。

「バブルの頃、とんねるずの特番でニューヨークでちょっと遊んで、そこからロンドンに行って、軽くサッカーをやって帰ってくるという番組をやりました。
そのとき、ニューヨークからロンドンまでは、コンコルドに乗ったんだよ。当時、チケット代は片道100万円ともいわれていた。乗ったのはスタッフ含めてン十人。豪勢だったよね~」

他にも、深夜にもかかわらずアメリカまで行き、中古車を買いつけてくる様子を見せるだけの番組をやっていたというテリーさん。
「深夜だから制作費は安いけど、スポンサーから別枠予算がつくから、そんなことができた。スタッフもビジネスクラスに乗って移動して、高級ホテルに泊まって、美味いもの食って、片手間に映像を撮ってね」
と、当時の豪快すぎる金事情を語ってくれたテリーさんだが、番組制作に懸ける思いも激アツだった。

「60年代、70年代の番組はほとんどがアメリカのパクリだった。アメリカに行ってきた連中は、企画会議で得意げに"アメリカではこれが流行っている"なんて語ってたけど、"何言ってるんだよ"と思っていた」

当時、バラエティのセットもみんなアメリカのパクリだったというが、
「私は自分で絵を描いて美術さんらとケンカ腰でやり合っていた。とにかくオリジナルにこだわっていました。
『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日テレ系)も『ねるとん紅鯨団』(フジ系)もアメリカにはないもの。模倣は絶対にダメだと思ってやっていましたね」

一方、まだ若手だったビートたけし、明石家さんまらが出演し、80年代のテレビ界に衝撃を与えた番組
『オレたちひょうきん族』で2代目プロデューサーを務めたフジテレビエグゼクティブディレクターの三宅恵介さん(66)は、「予算に関しては、今とそんなに変わらなかったですよ」と話す。

http://dailynewsonline.jp/article/1006421/
日刊大衆 2015.08.27 09:30
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