パラリンピック 義足選手 中西麻耶セミヌードまとめ

取得元:http://yamachan01.com/blog-entry-8760.html

パラリンピック 義足選手 中西麻耶セミヌードまとめ
◆走り幅跳び・中西、メダルに届かず
陸上女子走り幅跳び(切断など)で、3大会連続出場の中西麻耶は初のメダルにあと15センチ届かなかった。今季世界ランク3位の記録を持ち、1回目の試技で6メートル近い距離を跳んだが、わずかにファウル。この日はスタンドで見守る男子走り幅跳びの山本篤から助言を受け、試技ごとに課題の踏み切りを調整した。それでも、5メートル42が精いっぱいだった。中西は「支えてくれた人たちに悔しい思いをさせた。次の4年間を頑張りたい」と話した。
◆自己否定克服し4位 幅跳び中西「自分認められた」
陸上の女子走り幅跳び(切断などT44)で金メダルも期待された義足のジャンパー、中西麻耶(うちのう整形外科)。9日の競技で5メートル42の4位に終わったが、引退した身からの復活に「またこの舞台に立てるとは思わなかった」と穏やかな笑みを浮かべた。
競技活動資金に困り、ロンドン・パラリンピックを前にした2012年、セミヌードカレンダーを発売した。義足姿の写真が話題となるものの、激しいバッシングも受ける。その影響もあって心の病になったことを中西は公表している。その状態で臨んだロンドンでは4メートル79で最下位の8位。引退した。「芋虫みたいになって外出せず、人にも会えず、食べ物も吐いて、生きることを拒否した」。自己否定の固まりだった。だが、ロンドン前まで活動拠点にしていた米国サンディエゴの五輪トレーニングセンターから誘いを受けて渡米した際、陸上仲間から言われた。「陸上が好きだから悩むのに、なんで陸上を手放すの? 自分は陸上が好きだと認めてあげて」「この言葉がすごく心にしみた」と復帰を決意。13年から再び大会に出始めると記録を毎年伸ばした。今年5月にはアジア新記録の5メートル51。当時の世界記録まであと23センチに迫る。
優勝候補の一角として臨んだリオ。1本目ファウルの後、記録を残すためにスタート地点を少し下げた2本目が5メートル38。この時点で3位につけたが、問題は3本目だ。3カ月前に助走1歩目の踏み出しを、それまでの義足の右足側から健足の左足側に、歩数も19歩から18歩に変えていた。だが3本目は「ふとした時に前のリズムが降りてきちゃうことがあって」無意識のうちに右足で踏み出してしまった。踏み切り板を大きく踏み越すファウル。今春まで師事していた、地元・大分で中高生を教えるコーチが学校の仕事が忙しくなって離れ、コーチ不在で臨んでいたため、その「致命的なミス」に気づく人がいなかった。助走が崩れ4、5本目も記録を伸ばせない。だが最後の跳躍。リオ前に再び訪れた米国で「自分の走りさえ信じてやればいい」との米国人コーチの言葉を思い出した。スタート位置を戻して「自分の感覚を信じて」跳んだら、自己記録にあと9センチ。銅メダルまで15センチ足りなかったが、中西は「自分には修正能力があると、自分自身を認めてあげることができた。次の4年間が楽しくなりそうです」。4年前の姿はどこにもない。自己否定から自己肯定へ。南米の地は、中西というアスリートにとって新たなターニングポイントになったようだ。目指すは健常者にひけをとらない6メートルジャンプ。必ず東京の大観衆の前で跳んでみせる。(摂待卓)
◆中西 麻耶(なかにし まや) プロフィール
中西 麻耶(なかにし まや)は、義足(右脚下腿切断)の陸上競技選手。北京パラリンピック日本代表、ロンドンパラリンピック日本代表。リオデジャネイロパラリンピック日本代表。陸上競技障害クラスT44。日本記録・アジア記録保持者。
生年月日: 1985年6月3日 (31歳)
生まれ: 大阪府 福島区
身長: 158 cm
パラリンピック義足中西麻耶ヌード_01

 

関連記事: