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1:2017/02/01(水) 20:17:52.823 ID:
文豪が書いた記事だわこれは
 
熟女AVの社会的布置
アダルト作品を含めたポルノがメディアに登場して40年位経つが、熟女ビデオが登場する以前、演じ手のほとんどは10~20歳代初期の妙齢の女性であった[6](2002年に創刊された週刊特報(洋泉社)でカメラマンの松田耕造は、三十路の女性を撮りたいと編集部に提案したが、当時10代、20代前半がグラビアの主流であり、商品価値がないと判断されたという[7]。)。

一般に女性の思春期のAVへの出演[8]はある種の「若気の至り」として総括され、AV嬢のライフステージは、その後の人生においては相応の偏見やスティグマを負いながらもそれを乗り越える主体的努力で人間的に成長し、やがて主婦や母親として社会に受け入れられていくという正常化の物語としてイメージされていた。

ところが、熟女AVに出演する女性の多くは思慮分別が求められて然るべき年代に突如女優としてデビューし、あられもない痴態をカメラの前に晒すことになる。公表されるその属性や経歴については主婦、事務員、看護師とかいった一般的な女性(ときには医師とか教師といった専門職の場合もある)であるとされている[9]。男性の視聴者は彼女たちの言辞の虚偽を承知しつつも自分たちが実際の社会生活で出会う女性にイメージを重ね合わせ非日常性の世界で展開される痴態に妄想を膨らますのである。それと同時に彼らは女優たちの演技の「自然さ」や「わざとらしさのなさ」に戸惑いを感じながらも、表情・立ち振る舞い・言葉遣いなどの場面々々で示される微妙な身体技法の違いから貞淑で身持ちが固いと信じている自分の妻や恋人との違いを感じとろうとし、それに成功すると安堵することになる。

熟女AV女優にとって中年期でのAVへの出演は20代の女性たちとは比べることの出来ない大きなリスクを伴うことになる。20歳でのAV出演の場合、街中のスカウトの巧言を見抜けなかった幼さ・無知さに対する同情により責任の一部は免責されるが、熟女AV女優の場合、全ての責任を一身で負わなければならない。彼女たちは自らを女優として認識し[10]、行う性行為をあくまでも演技として合理化しようとするが、世間からは特異なパーソナリティの発露としか理解されない。特に同性の女性たちの評価は厳しく、もはや地域社会のコミュニティやPTA・自治会・同窓会への参加は彼女たちの冷たい視線に耐えなければならなくなる。ここにはラディカル・フェミニスト達が指摘してきた女性に対する抑圧の主体は常に男性であるというテーゼそのものが成立しない。特に子持ちの場合[11]、子供たちが受ける影響の大きさは高い。この一方、熟女女優のなかには自らブログを立ち上げ、自分のパーソナリティや経歴を積極的に公開し、ファンとの交流の機会を設けることで逆にスティグマを押し返そうとする剛の者もいる。

中年でのAV出演とはそれまで築き上げてきた人生の信用・評価・人格判断の全てと引き換えにする挑戦であり、男性陣はそれに見合う代償があまりに少ないであろうことを推測し同情している。

これまでこれら熟女AV女優が現実にどのような状況にあり、いかに人生を歩んでAVに出演するまでに至ったか解明する試みは社会学的にはあまりなされてこなかった。このため、人生の一時期AVに出演するという意味は上記のようなステレオタイプされた逸脱から正常へ向かう社会化の過程のみでは捉えることは出来なくなっている。

AV女優を基準で見れば「27歳を過ぎれば熟女」が不文律とされている[12]。
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